第二次大極殿跡

Tempat Bersejarah
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Ulasan

ko
koryu m
125 month ago
第二次大極殿(東部大極殿)跡は、恭仁京から平城京に都が戻された天平12年(740)の後に造営された大極殿の跡地。京都に都が遷されたあとは廃墟となり、田畑と化し、大極殿跡は僅かな高まりとして残った。明治の頃、その高まりを「大国の芝(だいこくのしば)」と近辺の人は呼んでいたらしく、それを関野貞(せきのただし)が大極殿跡地と推定し、『平城京及大内裏考』という論文にまとめた。
ko
koryu m
125 month ago
平城宮には2つの大極殿跡がある。平城遷都千三百年記念に復原された大極殿正殿は、和銅3年(710)の平城遷都のときに造営された当初の大極殿(第一次大極殿)で、天平12年(740)の恭仁京遷都の際に移築されたので、この地には約30年弱存在した。天平17年に平城京に都が戻された際、旧地の東に新たに大極殿が造営された(第二次大極殿)のが、「大極殿阯」の石碑の建つ大極殿跡の場所になる。
いん
いんふぃに
140 month ago
天平祭りでの写真です
  • 佐紀町字中神明野 (平城宮跡), 奈良市, Nara, 630-8003, Jepang, GPS: 34.692337,135.79721